鹿の血を採取して絵を描くことは、自分で掘ってきた土で絵を描くように物語性を含む意味では共通するものの、一滴も無駄にはできないぞという覚悟とともに、これまで培ってきた「環境に合わせて決して無理はせず創造をしていく植物的思考」の対となるような、「環境を求め、土地を移動していく動物的思考」のようなものを自分に与えました。そして、ずっと苦手意識があって避け続けてきた油絵の制作へと繋がっていきました。
角砂糖の包み紙から10mを超える壁画まで、絵の生まれるそれぞれの場所でマスキングテープとペン、その土地の土、小麦粉、横断歩道用の白線素材などを用いて屋内外問わず、環境に合わせ、絵を描いています。キュレーターの豊嶋秀樹さんに誘われて参加したRebornArtFestival 2019(以下RAF2019)で、牡鹿半島で土を掘り、制作をするのなら、小野寺さんに是非会って話を聞くべきだといわれていました。
約2週間滞在しながら制作をする中で、連日のように小野寺さんにお会いし、コーヒーをご馳走になったり、いろいろな食材の差し入れをいただきながら、興味深い話をたくさん聞かせていただきました。土を使って絵を描く自分にとって、その土地の話を聞き、土地のものを食べながら制作できるのは、大変幸せなことでした。
土堀りのポイントを教わるために、小野寺さんと猟犬の松吉と裏山に入ったとき、食べられる植物、食べられるけど旬ではないもの、触ってはいけないもの、ヤマヒルを避けながら山歩きするコツなどを聞き、見えている風景と情報の違いに、とてもカラフルで豊かなものを感じました。普段優しくて人懐っこい松吉(注・猟犬)が、鹿の気配を感じ取ると、地面すれすれを風のように駆ける野生の姿に(そのままどこか遠くまで行ってしまい、しばらくして帰ってきた)ぐっと身が締まる思いがしました。ある日のこと、ドンと雄鹿の首が置かれた屋外のテーブルのすぐ横で、みんなでスイカを食べたり、お茶を飲んだりしていたのですが、考えてみると普段住んでいる東京の日常との差に、自分の足元が小さく揺らぐような感じがして刺激的でした。
RAF2019終了後、小野寺さんを再訪し、鹿猟に同行させてもらいました、今度は土ではなく絵を描くための鹿の血を採取するために。その時に聞いた話の中で、”牡鹿半島を訪れた人なら誰でも感じる人里付近の鹿の多さとは裏腹に、山奥の鹿は減っているのではないか”という話や、”なるべく撃ちたくないんだ”、”雑巾を絞るようにして、猟場の中で鹿を撃っている”という言葉が耳に残りました。結局その日小野寺さんは見事な腕前で3頭の鹿を撃ち、僕は500mℓのペットボトル6本分の血を持ち帰り、大小10枚ほどの血の絵を描くことができました。さっきまで野を駆け巡っていた命が、目の前で尊敬する人の手により仕留められたこと。その鹿の血を採取して絵を描くことは、自分で掘ってきた土のように物語性を含む意味では共通するものの、一滴も無駄にはできないぞという覚悟とともに、これまで培ってきた「環境に合わせて決して無理はせず創造をしていく植物的思考」の対となるような、「環境を求め、土地を移動していく動物的思考」を自分に与えました。そして、ずっと苦手意識があって避け続けてきた油絵の制作へと繋がっていきました。若い頃から、いつか自分は究極の素材のひとつである血で描くことになるのかなと思ってはいたけれど、まさかこのタイミングで鹿の血になるとは。そしてそのことが20年ぶりの油絵という絵画の王道へつながっていくとは。小野寺さんと出会い、話をするまで思ってもいませんでした。